小松左京「お茶漬けの味」

2045年に「技術的特異点」(シンギュラリティ) を迎えて、人類の生活が劇的に変わるのではないかという予想があります。「技術的特異点」の鍵となる技術はいくつかあるようですが、そのひとつはAIが自分自身で改良・発展する(=AIにもっとよく出来たAIを作らせる)ようになるということ。
果たしてそのようなことが起こるのか、そしてそのようなことが起こるとどのような結果がもたらされるのかについては、これまたさまざまな見解があります。Googleが開発し、現在どうやらたいていのプロの棋士よりも強くなってしまったAI「アルファー碁」も、どの時点からか自分自身で対戦して強くなっていったようですから、「AIがもっと出来のいいAIを作り出す」ことがあっても不思議ではありません。

SFでは「シンギュラリティ」という言葉はなかったものの、「進化したコンピューター/人工知能が人間の脅威になる」という設定はこれまでもいくつもありました(と胸を張ったりして)。
小松左京の短編「お茶漬けの味」もそのひとつではないでしょうか。発表は1962年、その当時のコンピューターの技術水準というとなかなかイメージできないのですが(私は2歳でした)...JRの前身、日本国有鉄道(国鉄)の座席予約システム「MARS」の稼働が1960年というと、結構進んでいたのでは、と思う一方で、大型コンピューターの代名詞(私にとっては、かもしれませんが)IBM360のリリースが1964年ですので、1962年はまだまだだったのでは、とも思ってしまいます。

さて、「お茶漬けの味」では200年ほど先の時代、太陽系外の植民地から日本に帰ってきた恒星間宇宙船のクルー(光速近くの航行のため船内時間では数年しか経過しない上に、クルーは人工冬眠をしていました)が「自動化」が進展した世界に帰着します。そして...(ここまででネタバレになっていたらごめんなさい)

私が「お茶漬けの味」を初めて読んだのは中学生の時でしたが、その時の印象は、なんだかおいしそうな料理がでてくるな〜というものでした。食べ盛りだったせいでしょうか、それとも私がそもそも食いしん坊だったから(今もそうですので)でしょうか。題名からして「お茶漬けの味」で、主人公の七浦時夫が宇宙船の料理人ですから、おいしそうな料理が登場して、それが印象に残っても仕方がなかったのではないかと思います。

「お茶漬けの味」のその場面:

七浦時夫はすすり上げながら、自分の凍眠槽の中から、眼の下一尺近い鯛をとり出し、それを水につけてもどした。ぴんぴんしている奴を手早くわたを出し、こけらを落とし、塩をふって串にさす。高周波レンジを使わずに電熱器の上にそれをかけると、涙を横なぐりにふいて料理にとりかかった。赤飯、菜鳥の吸物、向う付けはかじきの角作り、煮物は鶉(うずら)団子に筆生姜、強肴は鶏の糸切りと濁活(うど)の黄身酢合え、箸洗が銀杏に針しょうが。

中学生ですから、赤飯と鯛の尾頭付きの塩焼きは分かりましたが、あとは「向う付け?箸洗?よく分からないけれど美味しそう」でした。40年後の今、和食について調べたりもして、ちょっとは分かるようになりました。

このメニューは和食の基本であるところの一汁(菜鳥の吸物)三菜(かじきの角作り、鯛の焼き物、鶉団子と筆生姜の煮物)です。「箸洗い」(口直しのお吸い物)があることから、懐石料理を念頭に置いているようです。懐石料理ですと、本来なら「ご飯・汁・向う付け(おかず)」を食べ、お酒を飲みながら「煮物」「焼き物」をいただき、あと強肴(しいざかな)と八寸(はっすん)をつまみにして酒を飲み、最後にご飯(湯漬け)と香の物でしめる、ということになるようです、エヘン。

で、小説では地球に帰還する祝いの献立であって、そもそもゆっくり料理をお酒を楽しみながら賞味する状況ではないので、懐石料理とまではいかないのでしょう。それにしてもやっぱりおいしそうです。

実は、コックはAI技術の進歩〜シンギュラリティの到来でAIにとってかわられそうな職業の上位に来ています。
週刊現代(現代ビジネス) オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」

料理に関心がないとされる英国人の研究結果だからじゃないか(笑)と思っていたら、そうでもないらしく、日本でもそのように予想されています。
ITmedia ビジネスオンライン「10年後になくなる可能性が高い職業とは(前編)」

AIがコック(料理人)にとってかわることができるというのは、いささか納得しがたいのですが...
「配合が決まった、加工のしかたが決まった」料理を工業製品と同じにキッチンで黙々と作るという作業ならばともかく、いささかでも「おいしさ」を考えながら調理をすることをAIができるようになるとは正直考えにくい。AIがどんなに発達しようと、「おいしいもの」にこだわるのは人間なのだと思いたいです(あくまで私の希望です)。

「お茶漬けの味」でも、宇宙船の船長が料理人の七浦に問いかけています。
「七浦 — お前は何を信じている?」
「何って……美しいものです」七浦は少し顔を赤らめて言った。
「それから − おいしいもの……」
「なるほど」

せっかく外食するのなら、それは別にチェーン店であってもいいのですが、なるべく七浦のようなココロをもった人が作った料理を食べたいな...

この記事に関係した本

小松左京「地には平和を」 ハヤカワSFシリーズ 3052 早川書房

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コメント

  1. オーロラ より:

    こんにちは。

    小松左京さんの文章を読むと、
    一時代前の古めかしい感じが残っているのに、
    発想は大変進んでいて、
    そのギャップが頭の中にコミックのように浮かんできます。

    最近AIに変わられそうな職業のニュースを聞きますね〜。
    自分の職業がAIに変わられそうだからといって、
    早めに転職するというのもおかしな話だし、、、
    どうやって生き抜こうか、、、という時代になってきますね。

    どちらにしても人生を楽しみたいですね!

    • Dr.S より:

      コメントありがとうございます。
      文体や登場する事物が古めかしくなってしまっても、今に照らしても依然として新鮮な発見があったり、ストーリーが心うつものであれば、「古典」になりうるのだと思います。
      (「お茶漬けの味」で古めかしいといえば、「電熱器」。今の子供たちは知っているのかな...でも、焼き魚を作るのだったら、電子レンジではなくて電熱器ですよね。)

      シンギュラリティ以降のAIへの対応は、どうなっていくのか正直見当がつきません。
      AIを道具として見るのではなくて、「異文化と交流していく」というくらいの気持ちで接していく必要があるかも。逆に、AIにも「異文化と交流していく」ことを学んでもらうと、人間と良い関係が築けるのではないでしょうか。で、AIが人それぞれどのような職業が向いているのか提案してくれたりして(苦笑)。