ポール・アンダースン「大魔王作戦」

ポール・アンダースンの「大魔王作戦」は魔法がテクノロジーの一部となっている並行世界が舞台の作品です。
主人公のスティーヴン・マチュチェック(スティーヴ)は狼男ですが、狼男に変身するときにはポラロイド社製のライトを使っています。スティーブが軍で作戦行動(敵の回教軍が擁する魔神を無力化する)で協力し、後に彼の妻となるヴァージニア・グレイロック(ジニー)は魔女で、使い魔の猫がいて、箒に乗っています(これが表紙の絵)。
二人は魔法がかかわる事件(陰謀?)に何度かまきこまれるのですが、力をあわせて困難を乗り切っていきます。

このお話で、私が好きな場面のひとつは、二人のあいだに女の子が生まれ、スティーブンが医師に出生手続きで娘の本名を告げるところです。ちなみに魔法の世界では本名は両親と医師、成人となった本人の秘密で、さもなければ魔法で悪用される可能性があるようです(魔法の世界では常識?)。

「名前は考えたかね?」
「ヴァレリア」
 (中略)
「で、本名は?」
「ヴィクトリクス」
「フム?」
「ジニーは前からその名が好きだったんです。ヴァレリア・ヴィクトリクス。イギリス最後のローマ軍団の名ですよ」最後まで<混沌>に立ちむかった軍団だと、ジニーはめったに見せない真剣な顔でいったことがある。

最後まで混沌に立ちむかう...かっこいい!と思いました。
本の原題は”Operation Chaos (混沌作戦)” ですから、ジニーの「めったに見せない真剣な顔」にはこのストーリーへのアンダースンの思い入れもあったのではないでしょうか。

で、ローマ軍団のヴァレリア・ヴィクトリクス Valeria Victrixに興味を持ったので、調べてみました。
ヴァレリア・ヴィクトリクスはローマ帝国の第20軍団(Legio XX)に与えられた名称です。第20軍団は紀元前31年にアウグストゥス帝により創設され、スペインからドイツに移動した後、紀元43年にクラウジウス帝のイギリス侵略にともなってイギリスに渡り、現在のチェスターのあたりを本拠地としました。紀元300年代に解散するまで、その地を守ったようです(ちなみに395年にローマ帝国は東西に分裂し、476年に西ローマ帝国が終焉)。
「ヴァレリア・ヴィクトリクス」と命名されたのは、紀元60年におきたイギリス当地での反乱を鎮圧した功によってです。「ヴァレリア」は「黒鷲」のことですが、「勇敢」も意味します(「ヴィクトリクス」は「勝利」)。しかし軍団ごとに定める紋章は(黒鷲ではなく)イノシシでした。


http://www.discoverchester.co.uk/LegionXX.htmlより

検索していて、ローマ軍団兵士のフィギュアを販売しているサイトをみつけました。紀元前50年から紀元455年のいろいろな軍団の兵士のフィギュアがあり、第20軍団ヴァレリア・ヴィクトリクスの兵士が持っている楯には確かにイノシシが飾られています。

http://www.aeroartinc.com/legionnaire-in-battle-formation-w-sword-20th-valeria-victrix-legion.htmlより
ちなみに140ドル。

私自身は、ローマ帝国が直面した「混沌」に立ち向かった人物の代表として思い浮かぶのは、スティリコ将軍(365-408)です。彼の場合は結局、「混沌」にのみこまれてしまったのですが...
以下、私がはじめてスティリコ将軍のことを知った、I. モンタネッリが書いた「ローマの歴史」を引用しながら彼の生涯をごく簡単にまとめてみます。

彼が支えなければならなかった西ローマ帝国について。
崩壊しつつあるこの帝国を受け継いだホノリウスはまだ11歳、輔佐するのはスティリコ将軍。ヴァンダル族すなわちゲルマン系蛮族の出身だが、諸将の中で忠誠と勇気と賢明さを保証できるのはこの人(スティリコ)しかいなかったというから、ローマ人の頽廃ぶりがしのばれる。
周辺の蛮族だけでなく、東ローマ帝国までも西ローマ帝国を餌食にしようと狙います。
今や帝国を信じ、帝国のために誠実に奉仕するのは、ヴァンダル族出身の哀れな将軍スティリコだけである。彼は一生涯、次々と口を開く帝国の堤防の穴を押さえてまわらなければならなかった。
西ローマ帝国への献身にもかかわらず、スティリコ将軍は、周囲の反撥があったこともあり、西ローマ帝国皇帝のホノリウスに忠誠を疑われて逮捕・処刑されてしまいます。スティリコ将軍には反乱という選択肢があったにもかかわらず、従容として死を受けいれました。
これは、ローマの名において犯された数々の犯罪のうちで、もっとも愚劣、もっとも卑劣、もっとも破滅的な犯罪だった。

スティリコ将軍について、さらに詳しくお知りになりたい方は、いわずもがなの塩野七生「ローマ人の歴史」の最終巻「ローマ世界の終焉」をどうぞ。
ここで紹介したモンタネッリの「ローマの歴史」は深くはありませんが、講談のように面白く、コンパクトにローマ史を紹介してくれていますので、ぜひこちらも。

そうそう、「大魔王作戦」で忘れられない登場人物が。
最後の事件では、ロシアの数学者ニコライ・ロバチェフスキーとハンガリーの数学者ヤーノシュ・ボーヤイがスティーブとジニーに力をかしてくれ、<混沌>に立ち向かうことになります(なぜこの二人かも、ちゃんと理由が...)。作中、短くですが紹介されるロバチェフスキーの生涯もまた感動的でした。

<混沌>に立ち向かう...かっこいいなあ!

この記事に関連のある本

・ポール・アンダースン「大魔王作戦」浅倉久志訳 ハヤカワ文庫SF
・インドロ・モンタネッリ「ローマの歴史」藤沢道郎訳 中公文庫

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