ヘロドトス「歴史」

30数年前の学生時代、ちょうどこの5月の頃に、なんだか落ち込んだときがあって、元気が出そうなSFを読んでも効果がなく、目先を変えてみるかと、どなたかが何かの冊子に書いていたお薦めに従って(つまり正確ないきさつを覚えていない...)手に取ったのが「歴史の父」と呼ばれるヘロドトス(紀元前485年頃-紀元前420年頃)の「歴史」でした。

それまで「歴史」というと、自分は教科としての歴史しか知らず、年号をおぼえるのも苦手で好きではありませんでした。
ヘロドトスは「歴史」で、紀元前400年代(つまり同時代)のギリシアとペルシアの間の戦争(ペルシア戦争)のいきさつを中心に「自ら調査研究したところを書き述べ」ました。
その「調査研究」の内容はというと、ヘロドトスが関連諸国を旅行して見聞した諸国事情・風土記・伝承・ヨタばなし — 授業で言えば脱線話 —の連続で、この本を読むうち「歴史ってこんなに面白いんだ(面白くていいのだ)!」と目を開かされました(実際、その後歴史の本を読むようになりました)。

「歴史」で特に参った、と思ったのが、第二巻のエジプトについての説明がはじまったあたりでの、ヘロドトスがエジプトの神官から聞き取った、人類の起源となる民族についての伝承。やや長文になりますが、「歴史」の雰囲気をお伝えする意味でも引用(松平千秋訳、岩波文庫)をさせて下さい。

エジプト人はプサンメティコスが王になるまでは、自分たちが全人類の中で最古の民族であると考えていた。ところがプサンメティコスが王位に即いて、人類中最初に生まれたのはどの民族であろうかを知ろうという気を起こして以来は、エジプト人はプリュギア人が自分たちより古い民族であり、自分たちはそれに次いで爾他の民族より古いものと考えている。

プサンメティコスはいろいろ詮索してみたが、人類最古の民族を知る手段を発見できず、とうとう次のような方法を案出した。生まれ立ての赤子を全く手当り次第に二人選び出し、これを一人の羊飼にわたして羊の群れと一緒に育てるように言いつけ、その際子供の前では一言も言葉を話してはならぬ、子供はほかに人のいない小屋に二人だけでねかしておき、然るべき時々に山羊を連れていって十分に乳を飲ませ、その他の世話もするようにと厳命しておいたのである。プサンメティコスがこんな手筈を整え、こんな命令を出したのも、赤子が意味のない喃語を語る時期を脱したとき、最初にどんな言葉を発するかを知りたいと思ったからにほかならなかった。

この計画は王の思いどおりにいって、羊飼は言いつけられたとおりを行って二年たったある日のこと、小屋の戸を開けて中に入ると、二人の子供は手を延べて彼のところに駆けより「ベコス*」といった。はじめ羊飼はそれをきいても、そのことを誰にも語らなかった。しかし赤子の小屋にゆき世話をするごとにこの言葉を聞くのが度重なって、羊飼はとうとうこれを王に報告し、王の命令によって赤子を王の前に連れていった。王も自分の耳でその言葉を聞くと、「ベコス」という言葉を使うのは何国人であるかを調べさせた。そして詮索の結果、プリュギア人がパンのことをベコスということが判ったのである。

エジプト人もこの実験の結果から判断して、とうとう今までの主張を譲歩して、自分たちよりもプリュギア人の方が古い民族であることを認めるようになったのである。

*訳注 ベコスはその音からも、山羊の鳴き声の擬声語ではないかという疑いが濃厚である。(以下略)

「幼児が喃語期を脱して最初にしゃべる言葉が人類最古の民族の言葉になるのではないか」というのが前提(これは本来検証が必要な仮説)ですが、とにもかくにも再現性を見るために?二人について実験し(今はこんな人道無視の乱暴なことはできませんが)、プライドを傷つけるような結論であっても、結果は結果として受け入れる。
プサンメティコス王は紀元前600年代の方ですが、昔から人間には好奇心と実験をして確かめてみようという、「科学の精神」があったのだなあ、と感動しました。
ところで、偶然ですが原稿を準備していて「プサンメティコス」を検索すると、この3月にカイロで発掘された巨像がプサ(ン)メティコスであったという記事がありました。
AFP「エジプト・カイロで発見の古代巨像、プサメティコス1世のものか」

プサンメティコス王の好奇心・探究心も、そしてなによりヘロドトスの生き生きとした好奇心、見聞したことを考証しようとする態度(たとえば、プサンメティコス王の実験の話のあと、エジプト国土の成り立ちについて1~2万年のスケールで考察!)。人間の知性のすばらしい面を見る思いがします。

このゴールデンウィーク、私は仙台市近郊の実家に帰省して、多賀城市の東北歴史博物館で開催されていた、2万年前の現生人類(クロマニヨン人)が残したラスコー洞窟の壁画を紹介した「ラスコー展」を観る機会に恵まれました。これに刺激されて洞窟壁画のことなど調べるうちに、現生人類の絵を描く能力や科学的好奇心といった「知的な受け皿」は、10万年前に現生人類が誕生した時に我々に備わっていたのではないか思うようになりました。これについてはまた書いてみようと思っています。

で、30年前私が落ち込んだのはどうなったかというと...「歴史」を読んですぐさま元気になった、なんてことはなかったかも(苦笑)。ともかく大部ではあるので、読み通そうとしている間に、解消してしまったような気がしています。

この記事に関係する本
・ヘロドトス「歴史」上・中・下 松平千秋訳 岩波文庫
・藤縄謙三「歴史の父 ヘロドトス」新潮社

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コメント

  1. ビールが好きな旅人 より:

    落ち込んだとき・・・ですか。。。
    だいぶ前に作家のどなたかが、
    『落ち込んだときには漫画の「ガラスの仮面」を読むとよい。
    長いから夢中で読んでいるうちに忘れてしまう。』とおっしゃっていましたよ。
    今はそういう時間を作るのが難しい時代かもしれませんが。。。

    旅して見聞を深めるのは良いですねえ。
    私も旅は大好きです。
    ヘロドトスの様に知性を深める!と理由を付けて、
    もっと旅に出ようかな!?

    • Dr.S より:

      コメントありがとうございます。

      「ガラスの仮面」、私も好きですよ。
      話がいつ、どう収束するのか気をもみますね(^^)

      社会人になって、じっくりと長い本を読んだり、旅行をしたりする時間がなかなかとれません。
      学生の夏休みのような時間がほしいです(私自身はほとんど旅行はしなかったのですが)...
      定年後は、なんて思っていたのですが、最近の年金事情では
      のんびり引退とはいかないようです(^^;)
      そういえば、ヘロドトスはどうやって生活していたのだろう? 調べてみなくっちゃ。